2019年8月6日
有限の生涯をハエはたきと情報のインプットで終わることはなんとなく悲しみの深いことだなと思った。一人の精神疾患を患った人間が起こした凄惨な出来事に心を怯ませているほど善人ではない自分は前述のハエすなわち重度の精神疾患をもっているともかぎらないが話の通じない類の人びと、特に私は最近耳を疑うようなことを聞くことが多いのだが大学での試験中のカンニング行為をおおやけに周囲に話すような人とはあまり近づきたくないなと思う。別に君の頭で思いついたのがそれなら仕方ない、好きにやってくれと思うがクソみたいなことは聞きたくない。全く人道的にはアウトではなくとるに足らないことであるし何より手を抜けるところで他人に迷惑をかけず自己責任で(バレたらその単位はないだろう)手を抜くことは何も悪くないのだが、そういうのを聞かされるのは勘弁してほしいなと思った。
これまでの受けた結果と現状況とかその日の精神状態が違うなら考え方も違うのは当然でさらに環境習得的な個人の思考回路も種類があるからどんな人とも衝突が起こることは不可避なことかもしれない。他の存在とは同じ時の世に生きているもののまるで別世界の住人なのかもしれない。無責任な発言をすると自分を大事にしたいししてほしい、たとえ衝突したとしても(ただ精神が摩耗するからお互い距離は取ろう)というのが妥当な判断であると思う。そして距離を取られたのなら自分が相手に置き換わった感じか。難しいことはよくわからないのだが、大人になることがフレンズの皮を被ったアライさんの皮を被ったフレンズを増やすことであったりまたはなることであれば悲しみが深い。
ところであまり元気がない。元気がないこと自体が悩み事みたいなもので情けない。特に自分の身の回りで辛いことはないのに辛い気分であるというのが辛い理由になっているのかもしれないとも思ったが、多分違うなと思い直した。先行きについて考えてみれば、高望みをしないで平凡な日常をすごすというのが最近はできれば避けたいなと思い始めて気持ちの収拾がつかないことにつながっているのかもしれない。所詮人の心なのでコロコロ変わると思うが、安寧に暮らすのも刺激を求めて刺激に従属するのも得心していない私はみんながどう折り合いをつけているのかはちょっと気になる。
自身の精神供養のために、6月から7月にかけて最も聴いた曲のリンクを貼りたい。宮本浩次が好きだ。 エレファントカシマシ 笑顔の未来へ. (C) 2008 UNIVERSAL SIGMA, a division of UNIVERSAL MUSIC LLC www.youtube.com こちらもどうぞ。
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梅雨が早く明けてほしいです。
さて、最近はかなり曖昧な理解にとどまっているシローの定理*1くらいから復習して代数に本腰を入れるべきだと感じているものの、いろんな数物に目移りしたり、日々荒みがちな精神の休養のために、エモーショナルな音楽を聴くなどして時間をかけているから、思っている通りに歩を進められていません。
ところで、代数と解析と幾何学とか数学基礎論*2というカテゴライズ自体に意味は特にないと思うものの、 上でもそうであるように自分もかなりの頻度で使うことが多いです。 やはりそう言うのが一定の便利さを持っているからだと思います。
*1 とてもつよい定理であるということは群の構造の決定に関する問いを講義で習ったことを通してわかったのでよく理解しなきゃなと思います。 今の1日24時間の感覚を残したままで1日50時間くらいにならないかな。 その時間で、意義深いところに到達して今まで感じたことのないような深みを知るということを体験したいです。
*2 数理論理学ともいいます。 数学を論理学の上に基礎付けることを発端とする領域です。まったく知らなすぎていうのも憚れるものの、今日では基礎づけという方向とは少し違うような方向で、ある命題が成り立つときに使われている公理はどういったものなのか、ある公理体系が表現可能な範囲は何なのかについてを考察の対象としたり、定理から公理を導く逆数学なども展開されているようです。
最近になってヒルベルトの零点定理という代数学の問題が、この数学基礎論を主に構成する集合論・計算理論・モデル理論・証明論の中のモデル理論の枠組みで別証明が与えられていることを知りました。 よくわからないので驚けません。
以下、
[1]「数学語圏-数学の言葉から創作の階梯へ- 」 志賀弘典 著
を参考にこの記事を書きました。
評価という好きじゃない言葉があります。 今日も授業で、創薬の段階には合成や計算機による探索(もちろん様々な人たちが様々な科学分野を日々積み重ねていると思いますが、 計算機の支援を利用した研究開発が最先端に位置付けられていることをその場で了解しました。 お話しされたのはその分野の研究者さんでした。 ) と出来上がった新薬の評価があるということを知りました。
ここでいった評価とは「一定範囲の対象に広く適用しうる自動的基準にしたがって物事の価値を数値化する」こと ( [1] P.66 ) に当たります。すなわち、一般での評価という語の用法と創薬における評価という語の運用方法はほぼ一致しています。
ほぼ、と書いたのは新薬の評価においては毒性や物性、薬理動態など多面的な価値の数値化 ( 数値以外の指標もあるかもしれない ) が要求されているという事実があるからです。
数学においても評価という語は頻繁に用いられています。 それは何かと何かの間の( 準同型とか単射性とか比例関係とかをさすような ) 関係性を述べたときにも、広い意味で評価したと言えると思いますが、数学では「評価」という語は「上限または下限の有用な見積もり」( [1] P.67 )という意味で使うらしいですその本では。不等式はそれ自体が評価していることを表しています。個人的には極限が定まるということも存在しないということやある三点が同一直線上に並ぶことを示すということも評価の範疇に入ると思います。
さて、コンピュータ数理学という人によっては虚無を感じ、人によっては楽しみを覚える授業があります。いつかは忘れたけどにおいては は収束することをmathematicaを使って示すことをしました。
周知のように では発散することは初等的に示されます。このことによってはを満たす複素数に対して収束しその範囲で正則関数となりますが、複素平面全体に有理型関数として拡張定義(解析接続といいます)され、を除いて正則となります。これがリーマンが発見したゼータ関数です。リーマンはこの関数の零点は自明なもの以外は全て上にあることを予想し、さらにその零点の分布密度についても予想しました。これがリーマン予想と言われているものです。
ところで自然対数や円周率が無理数であること、そして超越数*3であることの証明はそれらが単純な数であるのに反して評価するのが難しい評価の例として面白いです。 (西岡久美子 :「超越数とはなにか」を積読していますが、余裕が出てきたら読みたいです。 ) というか、一般的にある数が超越数であることを示すのは困難が伴うとのことで、やは超越数かどうかは証明されていないらしく、評価するというそれだけでも奥深い世界が広がっていると思うと高校生のときの数学に興味を持ち始めた感覚がまた蘇ってきていい気持ちにさせてくれます。今は急かされるように証明を見ていたり眺めていたりすることが多いので、それはそれでその効率さから、偶々やった命題が他の別分野の本での定理の証明で使われていたりとかで良い気分になることが多いですが。
*3 を0でない整数、を1以上の整数とします。複素数が整数係数の多項式 の零点となるときは代数的数といい、代数的数でない数を超越数といいます。超越数は一見実用的でもなければ本質的でもないように思えますが、円分体論や作図問題と関わりがあります。例えば、 ギリシャの三大作図問題の一つである円積問題 「与えられた円と同じ面積をもつ正方形を定規とコンパスのみで作図せよ」は19世紀まで多くの人たちを悩ませ続けてきました。定規とコンパスで作図できる数は、 四則演算と平方根を有限回用いて得られる数であり、代数的数であることに対応しているので、の超越性の証明によりも超越数になることから、円積問題に決着がついて不可能であることが証明されました。 (もし半径1の円の面積と同じ面積をもつ正方形が作図されたならその正方形の一辺はでこれは作図できた数なので代数的数となり、別の議論の枠組みでは超越数であることと、が超越数ならばは超越数であることが示されているので矛盾します)
超越数かどうかは実用上はあまり意味を見出せないということを既に述べました。確かにとは同時に代数的数になることはないことや、が有理数となる場合に限って例外的には代数的数となる(塩川宇賢 :「無理数と超越数」)ことがわかっても実用性はないです。それでも数がもつ性質が一つでも多くわかったらそれはいいことだと思うので、これからその超入門事項をそこはかとなくかきたいと思います。
が超越数であることは初等的な方法でも示されます。 の次多項式に対して とすると と部分積分されてさらに です。 次数が下がりきるまで下げると
ここで互いに素な整数 (>0),に対してをみたすと仮定して矛盾を導けば、が超越数であることがいえます。また、を素数としてとおきとおきます。 このAを2つの側面からみると簡単に矛盾することがわかります。 となります。 ここでで がえられ、はの倍数です。 また、 より、を展開した各項はただ一つの以外はの倍数です。よってはで割り切れる整数であり、です。
また、において だから
はによらない整数ですが、によるとによってはいくらでも大きくなるので矛盾します。よって、となり、は超越数です。
が超越数であることの証明についてがかかれている2019年7月4日現在、京都大学数理解析研究所助教である大浦拓哉氏のPDFのリンクを貼らさせて頂きたいと思います。
最後になります。シローの定理などのように本質的でも実用的でもないと思われますが、掲げたいと思います。
問 \begin{align} \frac{100}{120}<\sin 1< \frac{101}{120} \end{align} を示せ.
問
2以上の任意の自然数に対して \begin{align} n-\sum_{k=2}^n\frac{k}{\sqrt{k^2-1}}\geq \frac{i}{10} \end{align} が成立するような最大の整数を求めよ.
命題